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松江地方裁判所 昭和32年(わ)20号 判決

被告人 野村甚一 外九名

主文

被告人野村甚一、同松原高一、同渋谷和則及び同川崎武をいずれも懲役八月に、

被告人野村富夫、同久保田良助及び同野村重登をいずれも懲役六月に、

被告人田原寿司、同又賀新市及び同宮野仁をいずれも懲役四月に、

各処する。

ただし、被告人野村富夫、同田原寿司、同渋谷和則、同久保田良助、同又賀新市、同宮野仁及び同野村重登に対し、この裁判確定の日から三年間、右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人等の連帯負担とする。

理由

(益田市におけるパルプ工場誘致に関する紛争の経過)

東京都中央区銀座東二丁目八番地中越パルプ工業株式会社(当時の所在地 東京都中央区八重洲五丁目三番地、以下、中越パルプと略称する)は、昭和三一年一月頃から、事業拡張のため、新なるパルプ工場建設の計画を樹立し、これに適する格好な場所を物色中のところ、その頃、益田市において、市当局、市議会各関係者の間に、同市発展のため、中越パルプのパルプ工場を同市区域内に誘致せんとの議が起るや、市民の間においても、一般にこれを要望する声高く、ここに「大益田市の建設」を標榜し、これが実現のための運動が展開された結果、市議会の承認の下に、同年四月中旬頃、同市と中越パルプとの間に、同市区域内にパルプ工場を建設すべき旨の仮契約が締結された。これに伴い、その頃、同市の新機構として、工場設置事務室を設け、工場誘致に関する諸般の事務を分掌せしめ、ここにおいて、右工場誘致の計画が具体化したのである。

当初、益田市当局、中越パルプ各関係者は、相互に頻繁に往来して協議を重ねた結果、右パルプ工場建設の場所として、同市区域内益田川沿岸の沖田地区を予定したが、美濃漁業協同組合連合会(以下、美濃漁連と略称する)会長等関係沿岸漁民代表者は、機会ある毎に、市当局、市議会各関係者に申入を行い、パルプ工場が既定の方針に従つて建設されるときは、同市区域内日本海沿岸の地形の関係上、軈て操業の暁工場から排出される廃液のため海水が汚濁され、沿岸漁民は甚大な被害を蒙る虞あり、沿岸漁民から、一人の犠牲者をも出さざるよう、中越パルプをして廃液処理の施設を完備せしめると共に、被害に対しては、予め十分な補償をなさしめ、以て、沿岸漁民の生活に脅威を与えることがないよう、万全の措置を講ぜられ度い旨強い要望を繰返して来た。さて、前記の如く、工場誘致の計画の具体化をみるや、同年七月一五日附、美濃漁連会長山本村治名義の市議会議長宛「最低補償要望額について」と題する書面により、たとえ、如何なる施設を以てするも、廃液によるかなりの被害の発生は、到底これを避け得ないことは明らかであるから、その補償として、関係沿岸漁民に対し、中越パルプをして、毎年予め尠くとも金一、七一五万一、七六六円を提供せしめられ度い旨申入をなした。

益田市議会においても、関係沿岸漁民に対する被害補償問題解決のため、夙に特別委員会を設け、これが打開に腐心していたが、結局、同年七月二六日の市議会(第四八回臨時市議会)において、右工場建設のための本契約調印の可否につき、右調印は、島根県知事が中越パルプとの間に廃液処理に関する契約締結後たるべきこと、而かも、工場建設予定地たる農地買収の件及び関係沿岸漁民に対する被害補償の件がいずれも円満に解決した後でなくてはならない旨の附帯決議並びにこの決議の内容を十分尊重する旨の同市長伊藤正男の市議会に対する確約の下に、右本契約の調印を可決したのである。

然るに、当初の工場建設予定地であつた沖田地区の農地買収は、その後、諸般の事情により、これが斡旋をすることが、極めて困難となるに至つた。益田市当局としては、中越パルプとの間に、遅くとも同年一〇月二七日までに、工場建設予定地たる農地の買収手続を完了せしめるべく約していた関係上、ここにおいて、急遽第二の候補地を選定せざるを得ない窮境に陥つたが、偶同市区域内高津川沿岸の高津浜地区の多数農民からの要望もあり、又、中越パルプ側とも協議を重ねた末、結局、工場建設の場所として、高津浜地区の農地を買収せしめることになつたところ、廃液放出箇所が益田川附近から高津川附近に移つたという事情の変更に伴い、美濃漁連会長等関係沿岸漁民代表者は、沿岸漁民の蒙るべき被害は一層増大せるものとなし、同年一一月三〇日附、美濃漁連会長その他連名の同市長宛「陳情書」と題する書面により、右補償として、関係沿岸漁民に対し、中越パルプをして毎年予め尠くとも金二、九一六万八、九九二円を提供せしめられ度い旨改めて申入れると共に、被害程度を可及的に減少せしめんがため、廃液を直接日本海に放出することを避け、一旦、高津川に放出せしめること、被害補償に関しては、市当局が当事者となるのではなく、その保証の下に、中越パルプをして直接契約の締結をなさしめること等の諸点を掲げ、これを強く要求するに至つた。これに対し、伊藤市長としては、抑も、被害補償なるものは、現実に被害が発生したとき、補償委員会の裁定を俟つて、初めてその金額が算定せらるべきものであつて、市財政の許す範囲内、漁業の育成振興のためという名目で、漁民に対し、或る程度の助成金を交付するのは格別、沿岸漁民側の主張するが如きいわゆる事前補償なるものは、極めて不合理であるとなし、この点において、両者間に鋭い対立を生じた。

一方、内水面漁業関係の高津川漁業協同組合側においては、沿岸漁民側におけるが如く、いわゆる事前補償の要求はなさなかつたけれども、沿岸漁業は遠海(沖合)漁業に転換可能であるに反し、内水面漁業は全くその趣を異にするということを唯一の理由とし、一旦、廃液を高津川に放出することは、鮎等の魚獲に潰滅的悪影響を及ぼすから、廃液は、これを直接日本海に放出せしめることを要望し、ここにおいて、廃液放出の箇所に関し、沿岸漁民と内水面漁民相互間の利害関係の対立が表面化するに至つたのである。而して、高津浜地区関係農民との折衝は比較的順調に進展したが、農民側としては、代替農地の入手、或いは、転業等の準備の関係上、遅くとも同年末までに買収代金のうち尠くとも三分の一に相当する金額の支払を受け度い旨強く要望し居り、その他、諸般の事情を綜合し、伊藤市長としては、可及的速かに本契約の締結をなさざるを得ないとの結論に到達し、差当り最も困難であるのは、沿岸漁民に対する被害補償問題であつて、これがため徒に工場誘致の計画を遷延せしめるときは、凡ゆる努力も水泡に帰し、遂には、かねてからの懸案も流産となつて仕舞う虞あり、而かも、工場を建設してから、実際に操業を開始するのは、一箇年後のことであるから、たとえ、被害補償問題のみを切離して継続審議に附しても、円満解決を図るべくこれが折衝をなすにつき、時間的余裕は十分にありと判断し、同年一二月二五日の市議会(第五三回定例市議会)において、これを緊急議題として提案して諮つたところ、同市議会においても、諸般の事情の下において、同市長の本契約即時調印の意見を是認するも已むを得ざるものとなし、沿岸漁民に対する被害補償問題は、これを継続審議に附することを条件として、本契約に即時調印することを議決し、結局、前記附帯決議の趣旨を改めて本契約即時調印に関する議案を可決した。よつて、同月二九日、松江市なる島根県庁において、恒松島根県知事立会の上、益田市当局と中越パルプの両当事者間に、右本契約及び附属覚書につき、調印の手続を完了した。(契約書面上の日附は同月二八日である)

ここにおいて、美濃漁連及びこれに属する大多数の漁業協同組合(ただし、高津、小浜両漁業協同組合及び吉田漁業協同組合の一部を除く)関係者は、被害補償に関する従前の要求は、到底実現の見込なきものと考え、且、市当局及び市議会の右措置に激昂の余、沿岸漁民の立場を全く理解しない市当局等を相手とする限り、も早や被害補償問題の如きは論議の余地なく、寧ろ、工場誘致それ自体に絶対反対を唱える外なしとの態度を明らかにしたが、那賀漁業協同組合連合会に属する浜田、長浜等各漁業協同組合の外、山口県下長門北部海区に属する、江崎、須佐両漁業協同組合関係者もこれに同調し、その頃、関係沿岸漁民の大多数を以て「島根県石見海区、山口県長門北部海区パルプ工場設置反対期成同盟」なる団体を結成し、(以下、反対期成同盟と略称する)沿岸漁民中の有力者たる被告人野村甚一を委員長に推し、又、本拠を益田駅前美濃漁連事務所内に置き、「工場誘致絶対反対」を標榜し、組織的な闘争運動を大規模に開始した。

即ち、翌昭和三二年一月以降、屡々益田市大字上吉田所在益田市役所前広場に、「漁民大会」という名目で、多数の漁民を集合せしめて気勢を挙げ、同年二月頃には、多数の沿岸漁民を動員し、「工場誘致計画取止め方の陳情」という名目で、集団的に伊藤市長、秋吉市議会議長、各市議会議員等の居宅を歴訪せしめたが、漁民中には、その席上、激越な脅迫的言辞を弄する者も尠くなかつた。又、或る時は、本件工場誘致問題に関し、市当局責任者に不正行為ありとして、これを誹謗する趣旨の多数のビラを印刷した上、新聞に折込んで市民に配布する等、工場誘致の計画実現を阻止せんがため全力を傾け、日増に険悪なる雰囲気が醸成されたが、同年三月二〇日には、後段認定のとおり、反対期成同盟委員長たる被告人野村甚一自ら漁民一〇数名を率いて、益田市大字金山居住の長戸[日差]一方に赴き、同人が反対期成同盟の闘争運動の切崩工作を行つているということを理由としてこれを問責し、遂には、多数の漁民が共謀の上、右長戸に対し集団暴行の挙に出でたのである。

それより曩、同年三月一一日、島根県議会の席上、恒松島根県知事が、廃液処理の施設等の問題につき、果して、中越パルプ側に誠意ありや否疑問があるとの趣旨の発言をなしたことが新聞紙上に報道されるや、益田市議会議員中一部の者の間に、かなり深刻な動揺を招来した気配もあり、反対期成同盟側は、工場誘致の計画実現を阻止せんがための闘争は極めて有望なりと判断し、その頃、反対期成同盟委員長兼石見海区漁業調整委員会委員としての被告人野村甚一、美濃漁連会長山本村治外数名連名の「中越パルプ益田工場設置反対に関する請願書」と題する書面を、市議会議員山崎益夫外三名の紹介により、同市議会に提出したので、同月一三日、同市議会においては、右請願についての審査を経済部委員会に付託した。

而して、同月二〇日過頃、伊藤市長は、中越パルプの岩川社長、その他、中越パルプ側首脳部の真意を確めんがため東京都に赴いたが、その不在中、同月二九日益田市議会において、経済部委員会寺戸委員長が、前記請願についての審査の結果を報告し、漁民側の態度は、一歩もその主張を譲歩することなく、極めて強固なものであつて、同委員会における審査は継続の余地がない旨意見を表明したところ、市議会においては、伊藤市長の帰任後、同市長の報告、説明を聴取した上、これを資料として、市議会としての態度を決定することにしたのである。次で、翌三〇日、伊藤市長は、東京都から帰任すると同時に、益田駅頭において、新聞記者団との会見を行つたが、同市長の工場誘致の計画実現に対する信念を披瀝せんとするかの如き趣旨の談話が翌三一日の新聞紙上に報道されるや、該記事は、著しく反対期成同盟側を刺戟するに至つた。而して、前記の如き予定に基き、翌四月一日には、益田市議会において、本会議の準備として、全員協議会を開催し、その席上、先ず、伊藤市長の報告、説明を聴取した上、これを資料として、前記請願の採否について協議することになつたのであるが、四月一日当日の全員協議会に際しては、後段認定のとおり、多数の沿岸漁民が議場に詰めかけ、遂に、本件集団暴行事犯の発生をみるに至つたのである。

(被告人等の職業及び反対期成同盟における立場)

被告人等のうち、宮野仁を除く九名は、いずれも漁業を営むものであつて、そのうち被告人松原高一は、美濃漁連に属する安田漁業協同組合に、その余の八名は、いずれも美濃漁連に属する大浜漁業協同組合(以下、大浜漁協と略称する)にそれぞれ所属し、且、いずれも反対期成同盟員として、同盟の闘争運動に従事しているものである。就中、被告人野村甚一は、昭和二三年頃から昭和三〇年三月まで、当時の鎌手村村議会議員であつた外、かねてから、大浜漁協理事として本日に至り、その間、昭和二六年頃から昭和二八年頃まで、同組合長に就任し、又、昭和三一年八月頃から、石見海区漁業調整委員会委員に選ばれ、沿岸漁民中有力者の一人であるが、前記の如く、益田市において、中越パルプの工場誘致の計画の具体化をみるや、終始、沿岸漁民を指導して、漁民の結束を図ると共に、漁民の代表者の一人として、益田市当局、同市議会等に対する交渉に当つていた。その後、反対期成同盟が結成されるや、同盟の委員長に推され、爾来、右工場誘致反対のための闘争運動を指導しているものである。又、被告人川崎武は、かねてから大浜漁協内の水産研究会会長或いは副会長として本日に至り、右の如く、工場誘致の計画の具体化をみるや、大浜漁協関係の被害補償対策委員に選ばれ、反対期成同盟結成の前後を通じ、大浜漁協所属漁民中、主として青年層に対する指導的地位に在るものである。次に、被告人宮野仁は、健康の関係で、漁業には従事し得ず、衣料品販売業を営むものであるが、その父及び弟が漁業を営んで居る関係上、本件工場誘致に関する紛争の推移については、夙に、尠からず、関心を抱いているものである。

(罪となるべき事実)

第一、益田市大字金山イ二七番地竹材加工業長戸[日差]一は、かねてから、同市発展のため、同市におけるパルプ工場誘致の計画は、これを実現せしめる外なしと考え、前記の如き反対期成同盟の闘争運動にはかなり行過ぎがあり、却つて、沿岸漁民の将来のため、利益を齎すものに非ずとなし、美濃漁連に属する土田漁業協同組合(以下、土田漁協と略称する)所属の実兄松本孫一に対し、対策委員の辞任方を奨め、同市大字木部居住の畳製造業大場直一に対し、工場誘致に関する紛争の早期解決の方法について話しかけ、或いは、自ら市役所に赴いて市当局関係者に対し、工場誘致促進方陳情を行う等、反対期成同盟とは明らかに立場を異にするような行動を続けていたところ、被告人野村甚一その他反対期成同盟の幹部連中としては、長戸の右の如き行動を以て、同人が敢て信義に背き、反対期成同盟の闘争運動の切崩工作を行つているものであると解し、ここに同人を問責せんがため、大浜、土田両漁協所属の相当数の漁民を動員して長戸方に押しかけることにした。よつて、反対期成同盟委員長たる被告人野村甚一は、自ら昭和三二年三月二〇日早朝、同盟員たる被告人野村富夫、同渋谷和則の外、寺田保一、田中長一等漁民一〇数名を率いて右長戸方に赴いたが、同所表六畳の間において、右漁民の一団が長戸を取巻く態勢をとつた上、先ず、被告人野村甚一が長戸に対し、反対期成同盟の闘争運動の切崩工作を敢てする理由を問い糺し、爾今、闘争運動の邪魔をなさざるよう要求したところ、同人はかかる行動に出でた覚えなしとて、これを突撥ね、毫も応ずる気配を示さないため、被告人野村甚一が突如血相を変え、長戸に対し「今日はこらえんぞよ、早う白状せい、証人があるのだ」と申向けつつ同人の胸倉を掴んだのを契機とし、同行せる大多数の漁民が相協力して、交々「お前は金を貰つたのだろう」「お前は性根があるのか」「お前は農協組合長等とグルだろう」「白状せにや晩まで帰らんぞ」等と怒鳴りつけつつ、約一五分間、全く無抵抗の長戸に対し、頭部や顔面を殴打する等の暴行を加え、これをみ兼ねた長戸の妻の指示で、その長女が駐在所に急報すべく走り出た気配が察知されるや、被告人野村甚一が漁民連中に対し「もうこの位でこらえてやれ」と申向け、又、長戸に対し「おい、よう聞いとけ、これから漁民に不利なことをしたら只では置かん、この次は、飯浦の方からも来るかも知れんぞ」と捨台詞を残したのを合図に、全員相携えて同所を引揚げたが、その間、被告人野村甚一は、前記の如く、長戸の胸倉を掴んでから、二、三回連続して、同人の胸を強く突き、被告人野村富夫は、長戸の頭髪を引張つた外、数回連続して、同人の頭部や顔面を手拳で殴打し、被告人渋谷和則は、多数回連続して、最後まで長戸の頭部や顔面を掌で叩き、以て同被告人等三名は、同行せる大多数の漁民と共謀の上、右の如く、長戸に対して暴行を加え、よつて、同人をして、臥床約四日間を要する頭部、顔面、胸部等の打撲傷、治療約四〇日間を要する上顎左側第二小臼歯折損等を蒙らしめ、以て、同人の身体を傷害したものである。

第二、前記の如く、同年四月一日には、益田市議会において、本会議の準備として、全員協議会を開催し、その席上、先ず、伊藤市長の報告、説明を聴取した上、これを資料として、同年三月一三日頃提出に係る前記請願の採否について協議することになつたのであるが、右全員協議会における伊藤市長の報告、説明及びこれに続く協議の如何は、市議会として右請願の採否に対する態度を決定するにつき、重大な影響を及ぼすものであることが明らかであるところから、反対期成同盟側としては、右報告、説明及び協議の内容を極めて重視していたのである。よつて、当日たる同年四月一日、益田市役所二階会議場に、既に、開会前から傍聴のため、詰めかけた関係沿岸漁民の数は、優に三〇〇名を越え、漁民は、議員席後方の通常傍聴席のみならず、市長、その他市当局関係者、市議会議長、その他市議会事務局関係者の席の後方にある演台上やその周辺にも四、五十名群がり、当日の全員協議会は、会議場の前、後方を漁民によつて扼され、且、恰もこれに包囲されるかの如き態勢の下に開催された。而して、被告人等のうち、野村甚一を除く九名は、いずれも右演台上、或いは、その周辺に群がる漁民の間に分散して紛れ込んでいたが、被告人野村富夫、同田原寿司、同久保田良助、同川崎武等は、予め焼酎を飲み、元気をつけてその場に臨み、就中、川崎武は、開会直前、二、三名の仲間と共に市長室に到り、伊藤市長に対し「何故早く協議会を開かんか」と怒鳴りつけた外、市役所附近において、秋吉議長に対し「議長、今日はやるぞ」と喚き、更に、議会事務局に到り、同議長に対し「議長、早く会議を開け」と怒鳴つて、即時開会を迫り、当日の全員協議会は、開会前から、既に険悪な空気を孕んでいたのである。さて、定刻九時より約一時間遅れ、午前一〇時過頃、秋吉議長開会を宣し、(議員の定員三六名中、八名欠席)次で、伊藤市長が工場誘致に関する問題について、東京都に赴いた際の折衝の経過の報告、説明を開始し、順次それが進行するに伴い、傍聴している漁民の間の此処、彼処から「お前は、中越の番頭か」「お前は、中越の市長か」「益田の政治は、東京でやるのか」等、相次で猛烈な弥次、罵声が飛ばされたが、傍聴している漁民としては、伊藤市長の報告、説明の内容及びその態度から推し、同市長は、沿岸漁民の立場を全く無視し、一方的に工場誘致を強行せんとするものであると解し、憤激その極に達すると共に、前記の如く、請願の採否に対する態度を決定せんがための当日の全員協議会としての建前上、同市長の報告、説明をこの儘続行せしめるときは、必ずや沿岸漁民のため絶対的に不利益な結果を齎すものと考えるに至つたが傍聴している漁民の弥次、罵声は一層激烈を極め、発言中の伊藤市長の声は、容易に聴き取り難い状態に立ち至つたので、伊藤市長は、秋吉議長に対し「これでは報告ができんが、報告せんでもよからうか、議場を整理して呉れ」と申向け、発言を中断して着席した。議員島田弥寿一は「議場の整理をせい」と叫び、又、議員佐々木三郎が議長席に赴き、秋吉議長に議場の整理方申入をなすや、正にその時、同会議場の北側東寄に隣接する小会議室出入口附近にいた被告人川崎武が突如手を振り上げ、市長席の前に飛び出し、「嘘をいうな、今日は逃がさんぞ」と喚きつつ机を叩き、更に、手を伊藤市長の顔面に向けて突き出すや、演台上にいた漁民の一人が机の上に駈上つて「やれえ」と叫び、又、傍聴していた漁民の間の此処彼処から「やつちまえ」「やつちやれ、やつちやれ」「今日はやるぞ、生かして居れるものか」等と怒鳴り散らし、これと相呼応して、四、五十名の漁民が一齊に市長席及び議長席に殺到し、全員協議会開会中の秋吉議長及び同協議会において報告、説明をなすべく出席中の伊藤市長を取囲み、ここに多数の漁民が相協力し、集団を以て右両名に対する暴行を開始し、両名を庇護せんとする吏員や議員連中と揉み合い、机や小会議室出入口の硝子戸を破壊し、又、火鉢の灰や灰皿を投げ飛ばす者もあり、一瞬にして、議場を修羅場と化せしめて仕舞つたが、その際、

(一)  被告人野村富夫は、机の上に駈け上り、二回位連続して、手拳で伊藤市長の頭部を殴打し、被告人松原高一は、同市長の背後から、頭髪を引張り、又、二、三回連続して、手拳で同市長の頭部を殴打し、被告人田原寿司は、数回に亘り、左肩で同市長の身体を小突き、被告人渋谷和則は、同市長に飛びつくような格好で、一〇回位に亘り、手拳で同市長の頭部や顔面を殴打した外、三、四回連続して、皮靴で同市長の足を蹴りつけ、被告人久保田良助は、同市長の胸倉を掴んで引張り、二回位掌で、同市長の顔面を叩き、被告人川崎武は、同市長の胸倉を掴んで引張り、二回位掌で同市長の顔面を叩き、被告人又賀新市は、同市長の背後から、椅子を強く揺振り、更に、同市長の襟首を掴んで、二、三回連続して小突いた外、立ち上つた同市長の前方に廻り、二、三回連続して手拳で同市長の胸を強く突き、被告人宮野仁は、同市長が演台の西北端附近まで揉まれて来たとき、同市長の前方から、手拳で頭部を二回位殴打し、被告人野村重登は、同市長が腰をかけているとき、横の方から手拳で頭部を二回位殴打し、

(二)  被告人久保田良助は、議長席附近において、一回右手を以て秋吉議長の左肩辺を強く突き、被告人松原高一は、小会議室出入口附近において、「この腐れ爺」と怒鳴りつつ、同議長の臀部を一回殴打し、同議長が議員真庭淳三、安野次雄両名に庇護されて小会議室内に避難せんとするや、これを追跡せる被告人渋谷和則は、小会議室内西北隅に蹲つている同議長を皮靴で一回蹴りつけ、同じく被告人川崎武は、虚な眼で頭を下げ、合掌している同議長の襟首を掴んで引張つた上、同議長を強く突き、且、手拳で一回これを殴打し、

以て、被告人等のうち、野村甚一を除く九名は、多数の漁民と共謀の上、右の如く、伊藤市長及び秋吉議長に対して暴行を加え、よつて、両名の各職務の執行を妨害すると共に、伊藤市長をして治療約一〇日間を要する全身挫傷を、又、秋吉議長をして治療約七〇日間を要する左第二、第三腰椎横突起骨折、第四肋骨々折及び全身打撲傷をそれぞれ蒙らしめ、以て、右両名の身体を傷害し、

第三、右の如く、秋吉議長が会議場において、漁民の集団から暴行を加えられるや、議員安野次雄、真庭淳三両名は、同所より前記小会議室に同議長を救出し、同所西北隅において、これを庇護し、又、当日の全員協議会に欠席していた議員島田大太郎も、急を聞いて、程なく、同所に駈けつけたのであるが、秋吉議長を追跡して来た漁民一〇数名は、同所において、右三名の議員に対しても、相協力し、集団を以て暴行を開始したが、その際、

(一)  被告人松原高一は、四、五回連続して、手拳で安野議員の頭部や顔面を殴打し、被告人渋谷和則は、同議員の襟首を掴んで揺振つた外、二回位手拳で同議員の頭部や顔面を殴打し、更に、一回皮靴で同議員を蹴飛ばし、被告人川崎武は、同議員を強く突き、且、手拳で一回これを殴打し、被告人野村重登は、七、八回に亘り、手拳で同議員の頭部を殴打し、以て、同被告人等四名は、多数の漁民と共謀の上、右の如く、同議員に対して暴行を加え、よつて、同議員をして治療約一〇日間を要する全身打撲傷を蒙らしめ、以て、同議員の身体を傷害し、

(二)  被告人松原高一は、倒れている島田議員の頭部を手拳で一回殴打した外、ゴム長靴で数回同議員を蹴り飛ばし、被告人野村重登は、五、六回に亘り、手拳で同議員の頭部や顔面を殴打し、以て、同被告人等両名は、多数の漁民と共謀の上、右の如く、同議員に対して暴行を加え、よつて、同議員をして治療約一〇日間を要する全身挫傷を蒙らしめ、以て、同議員の身体を傷害し

たものである。

(証拠)(略)

(法令の適用)(略)

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 組原政男 西村哲夫 小河基夫)

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